YOSHIMINATSUMI

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もともとライターになるつもりなんてなかったわたし。

昔は、ライターとか記者という仕事は、小説家と同じカテゴリだと思っていました。「文章を書いてお金をもらう人」というカテゴリです。

でも、実際はまったく違うモノなんですよね。

わたしは、WEBライターです。WEBでしか書いたことがありません。でも、紙媒体のライティングもできると思ってます。もちろん、紙媒体のルールを教えてもらわないといけないけど。

こうして、ブログで自分の考えを発信することもできます。ブログだからってすごく気の抜けた文章ばかり書いてますが。

しかし、小説だけは書けない。
小説は、まったく違うモノなんです。

わたしは、自分の考えていることを文章にすることに抵抗がありません。違う考えの人もいるだろうし、ヤフコメでボロカス書かれることもあるけれど、気にしないようにしています。というか、見ないようにしています。

いろんな人がいることを分かった上で、それでも「わたしはこう考えている」、「わたしのやり方はこうだ」と発信することができるのは、ライターとして必要な要素です。

小説にも、似たような側面があります。小説、物語というのは、創作物ではあるけれど、その作家さんの頭の中から出てくるものだから、やっぱりその人の考え方が色濃く出てきます。

自分の中にまったく存在しないものを書くことはできないだろうから。

そして、わたしはそれが、恥ずかしくてたまらないのです。

「記事」として自分の考えを発信するのは平気なのに、「小説」として自分の考えを発信することが、どうしてもできない。

わたしは、高校1年生ぐらいまで、漫画家を目指していました。絵を描くのが好きだったからです。
「りぼん漫画スクール」にも応募していたんですよ。

でも、漫画家になるという夢は、やめてしまいました。

純粋に情熱が冷めていったという理由もあるんですが、それ以上に、「自分の恥部を見られている感覚」が抜けなかったという理由が大きいです。

物語を創作していくと、自分の内面がさらけ出されていく感覚になります。それは、ライターとして記事を書くときのそれとは全然違います。

ライターとして記事を書いているとき、わたしは自分の頭の中身を全部さらけ出しています。しかし、実際には全部さらけ出せているわけではなく、あくまでも自覚的な「意識」の部分だけなんですよ。

一方、小説や漫画の場合は、「無意識」の部分が勝手に出てきてしまいます。フロイト的な。エス(es)的な。

自分自身でも自覚の無かった自分の願望とか、自分の汚い部分とか、他人に知られたくないことが、小説には出てきてしまう。

だから、こっぱずしくて書けないのです。

今までに、漫画を描いてみたことも、小説を書いてみたこともあります。でも、それが人の目に触れるということには耐えられる気がしません。

小説家の人たちってすごいな。漫画家も。

小説が書ける人というのは、自分の無意識の領域をさらけ出すことに抵抗を感じない人種なのでしょうか。

それとも、小説が書ける人というのは、上手く自分の意識の範囲内から物語を紡ぐことができる人なのでしょうか。

機会があれば聞いてみたい。

わたしには、一生できる気がしない。そんな話なのでした。