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「あの人は恵まれてるから」
「わたしは恵まれていないから無理」
この考え方を自分に対して禁止したのは
子供を産んでしばらく経ったころだったと思います。

それまでのわたしは、

「あの人は恵まれているからできるんだ。
わたしは恵まれていないからできないんだ。」

そう思ってやらないことがたくさんありました。

あの人はもともと頭がいいから仕事もできるんだ
(わたしにはそこまでの知能がない)

あの人は実家に住んでいるからお金が貯まるんだ
(わたしは家賃も自分で払っている)

あの人は実家の援助があるから家を買えたんだ
(わたしは実家が貧乏)

あの人は両親がサポートしてくれるからフルタイムで働けるんだ
(わたしの親はまだバリバリ働いている)

あの人は両親が揃っているから情緒が安定してるんだ
(わたしは片親だった)

などなど、思うことありませんか?

「サンキュ!」とかの主婦向けの雑誌を見ていると、すごく支出が少ない人がいますよね。

でも詳しく読んでみると、米は実家から届くとか、社宅だから安いとか、
そういう「恵まれポイント」があってがっかりするわけです。

ブログもそういうことがあると思います。

もともと文章を書く仕事をしていた人とか
CSSとか詳しい人とか
「そりゃ人気ブログが作れるでしょうよ」
とか思っていませんか?
※わたしは思っていませんよ!

これって要は
「他人の芝は青く見える」
という現象なんですよね。

本当は、自分も
「誰かに羨ましいと思われるもの」
を持っているはずなんです。

実家に住んでいる人はお金にゆとりがあっても
親の干渉がすごくて
「一人暮らしの人がうらやましい」
と思うかもしれないし

両親が揃っているからと言って
それが幸せとイコールではない。

わたし自身は、
親は1人しかいないし
家が貧乏で塾にも行けなかったし
入学祝どころか奨学金借りての進学だったし

「神様って不公平すぎる」
ってずっと思っていました。

でも、大人になって、少しずつ、
物事の二面性に気付くようになって

恵まれていると思っていた人が
案外不幸を感じていることにも気づいたりして

「恵まれポイントは人それぞれあるもんだ」
って考えるようになりました。

そして自然と、
「あの人は恵まれているから」
と考えることが減っていきました。

たまにふと頭をよぎることがあっても、
自分に対して
「その考えは正しくない」
と打ち消すようにしました。

すると、いろいろが楽になって、
できることも増えていきました。

人に対して「恵まれている」と思うのは、
自分に無いものを持っているからです。

でも、ほんとは、
自分が持っているものに目を向けた方がいい。

他人の恵まれポイントではなく、
自分の恵まれポイントに目を向けるんです。

「これって、人によっては羨ましいと思うかもな」
っていうポイントを見つけて、
大事に育ててあげるんです。

自分にまったく無い要素を足すのは難しいけど、
自分が持っている小さな能力を伸ばすのはできる。

「実家が」とか「親が」とかはどうにもできないけど、
「自分」はどうにでも変えられる。

他人を羨んでいても、自分がその人になれるわけじゃなく、
なれたとしても良いものとは限らない。

わたしの親は「教育費をかけてあげられなかったこと」を
申し訳なく思っているようですが、

わたしからしたら
「もし教育費をかけてもらっていたとしても、
普通にくだらない小学校教員になって、
うつになって死んでたかもな」
って感じです。

※小学校教員がくだらないという意味ではなく、
わたしが現役で大学に行って普通に教員になってたら
底の浅いつまらない教員になってた、という意味です

他人の恵まれポイントを意識するということは、
自分を必要以上に卑下することにもつながります。

そんなのもったいないから、
もっと楽に生きるために、
わたしは
「あの人は恵まれている」
なんて今後も一生思いません。