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ガーデニングバジル (2)

ちょっとデリケートな話なのですが、「障がい」ってあるじゃないですか。

昨日、たまたま話の流れで障がいに関する話題になりまして。

つい、自分がずっと思ってきたことを、話してみたんですね。

そしたら、わたしの考え方が正しいと全力で肯定してもらえたので、うれしかったです。

一応、その相手は障害に関して詳しい人なので、わたしの考えも間違っていなかったんだな、と思えました。

わたし、「障がい」って、「害」をひらがなで書くことに対して、違和感を持っています。

わたしが初めてひらがな表記にする理由を聞いたときは、こういった内容でした。

「障がい者は、社会にとって邪魔なものでしょうか? そうじゃないですよね。
差別意識をなくすためにも、害という漢字は使うべきではありません。」

いつ、どこで聞いた話なのかは忘れてしまったのだけれど、そのときに、強い違和感があったんです。

だって、障がいって、障害走の障害ですよね。

子供のとき、はじめて障がい者の存在を知ったときに、わたしはこのように解釈しました。

「普通の人にとってはただの50メートル走でも、障害者の人にとってはそれが障害走になってしまうんだろうな」と。

つまり、その人が社会にとっての障害なのではない。

その人自身が、生きていく上で困難を感じている、ということ。

子供のころからそう思っていたので、「障がい」とひらがな表記することに関して、意味が分からなかったわけです。

で、ひらがなにするか漢字にするか、みたいな論争もあったわけだけれど、そんなことをしている暇があったら、何か1つでも、障がい者の方が感じている「障害」を、取り除くほうにエネルギーを使ったほうがいいんじゃないか、と。

そんな話を昨日してみたところ、話し始めると同時にぶんぶんと首を縦に振りながら聞いてくださいました。

やっぱ、そうだよね。

わたしはそもそも、障がい者と健常者という分け方が好きではありません。もっと言えば、男と女、という分け方にも違和感を持っています。

LGBTの問題とかもありますけど、はっきりと「男女」だけでは区別できないセクシャルマイノリティの方もたくさんいるんですよね。

障がい者と健常者の違いも、そんなにくっきりと線引きできる問題ではないと思うんです。

診断がついていない人でも、生きづらさを感じている人はたくさんいるじゃないですか。

わたし、みんなが病院で検査してもらったら、だれでも何かしら見つかるんじゃないか、とすら思っています。

わたしも、普通に生活できている(=障害を感じていない)ので一応健常者ですが、性格的にはかなり多動っぽいところがあります。

周りにも、自閉症っぽい人、アスペルガーっぽい人、とかいます。みなさんの周りにもいるんじゃないでしょうか。

これって、わざわざ分ける必要あるの?

「自分は健常者だ」って安心したいだけなんじゃないの?

もちろん、きちんと診断をつけることでその人が適切なサポートを受けられるようになるという意味では、診断には意味があります。

でも、未だに「障がい者ってかわいそう」とか「発達障害ってただの甘えなんじゃないの?」とか、そういう考えをする人がいることには驚きを隠せません。

昨日お話しした人も、そういった言葉を聞く機会が多いそう。

そういう人は小学校からやり直したほうがいい。毎年12月に人権学習しなかった?

自分とは関係ない話だと思っている人が多すぎる。

ついでに言えば、外国人とかハーフに対する感覚も、日本人はちょっとおかしいと思うよ。純粋な日本人がそんなに偉いのか? 閉鎖的すぎる。

というわけで、もう少しこの分野を改めて勉強しようかな、と思いました。

わたしも別に詳しいわけじゃないので。

目指すは世界平和だからね。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

宮沢賢治もそう言ってたよ。