YOSHIMINATSUMI

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10代のころは、わたしも人並みに人生を悲観したりもしていました。

でも、大人になって、最近思うのは、素直さと誠実さがあれば、この世は本当に生きやすいし、毎日が楽しい、ということです。

素直と従順は違う

従順な人、いわゆる「イエスマン」的な人はたくさんいます。

でも、素直な人ってそんなに多くないような気がします。

どういうのを「素直」って言うのか、定義がなかなかに難しいのですが、わたしが考える素直さというのは、「とりあえずやってみること」に似ています。

わたしが素直さについて初めて考えたのは、中学1年生のときです。

数学の先生が、初めての授業でこんなことを言っておられました。
「数学ができるようになりたければ、素直になれ。
よくわからんと思っても、うだうだ言わずにとりあえず言われたとおりにやってみろ。
素直なやつは伸びる。」

うろ覚えですけどね。

たしかに、数学ができない同級生を見ていると、「よくわからないから」と勉強するのをやめてしまっていました。

わたしは、先生の説明の意味が分からなくても、とりあえず言われたとおりにやってみることで、一定以上の成績はキープできました。

素直さとは、受け入れること

素直さというのは「とりあえずやってみる力」とも言えますが、それは、他者の意見を受け入れなければ成り立ちません。

そう考えると、自分と意見が違う人を敵とみなしてわーわー言っている人は、さぞかし生きにくかろう、と思ってしまいます。

自分と違う立場の人や違う人の意見も、それはそれとして受け入れる。

迎合するわけではなく、「そういう考えもありますね」と受け入れる。

受け入れるのは、敵対して突っぱねるのとは、全然ちがう。

突っぱねるのも迎合するのもストレスが溜まるけど、まんま受け入れるだけなら何のストレスもありません。

悪いことをするのがストレス

世の中には、本当に悪意を持って悪いことをする人もいるみたいです。まだちょっと信じられませんが。

わたしは、悪いことができません。罪悪感を持つのが嫌いなのです。

誰かを陥れてやろうとか、騙してやろうとか、そういう発想がありません。

そういう発想を持っている人はたぶん、「自分も騙されるのでは」とか疑って、疲れますよね。そんな人生いやだよ。

誠実さは大事だとよく言われますが、むしろ、誠実じゃないと生きにくくないですか? と言いたい。

心がモヤッとすることはなるべくしたくないし、モヤッとしたときはすぐその原因(不誠実さ)を解消するようにしたい。

誠実さには合理性も必要だけど

わたしは罪悪感と無縁で生きたいと思っているからこそ、誠実であろうとします。

ただ、誠実であろうとするためには、合理的に考える思考も必要です。

わたしが考える誠実さというのは、あくまでも合理性が保たれる範囲内での話。

たとえば、海外で飢えに苦しんでいる人がいるからと言ってそのことでわたしが必要以上に罪悪感を持つことには合理性がありません。

それで心を痛めて病んでしまうというのは本末転倒ですし、わたしが私財をぜんぶ寄付するっていうのも違う。

わたしが私財を投げ打ってしまったら、わたしも誰かに援助してもらわないといけなくなる。

誠実さって、そういうことじゃないよね。あくまでも、「今のわたしにできること」を主体に考えるべきです。

素直に、誠実に。

素直であるべきとか、誠実であるべきとか、そういうことじゃなくて、もっと単純に「そのほうが生きやすいですよ」ってことを言いたい。

いちいちひねくれる方が面倒だし、「これは良くないことだな」と思うことをやってしまうほうが健康にも悪そう。

料理が下手な人とかも、圧倒的に素直さがないんですよね。レシピ通りにやらない。

その気持ちはすごくわかる。わたしも料理はあまり好きじゃないので、すぐ楽をしようとして失敗します。

でも、四六時中そのスタンスはやっぱり良くないと思うのです。

素直さや誠実さは、そんな大げさに考えるものではなく、楽に生きるためのエッセンスなんじゃないでしょうか。

知らんけど。

※関西人の必殺技「最後に知らんけどって言うやつ」