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日本は豊かな国ですが、貧困問題はあります。

6人に1人は相対的貧困の状態にある、と言われていますよね。

相対的貧困というのは、簡単に言うと「その国の標準的なレベルよりも低い水準で生活していること」だということです。

これに対して、「絶対的貧困」という言葉もあります。こちらは住むところが無いとか食べるものが無いとかの「最低限の生活ができないレベル」を指しています。

相対的貧困の何が問題なの?

相対的貧困にはもちろん絶対的貧困の人も含まれますが、絶対的貧困ではない人もいます。

「住むところは食べるものがあって、最低限の生活ができるならいいんじゃないの?」

そう思う人もいますよね。というか、わたしも昔はそう思っていました。

でも、相対的貧困というのは、やっぱりそれでも問題です。

一番の問題は、「絶対的貧困になりやすい」という点だと思っています。

絶対的貧困に転落しやすい

月収50万円あれば、普通の生活ができて、なおかつお金も貯まりやすいので、簡単には貧困状態になりません。

今わたしが仕事ができない状態になったとしても、貯金があります。noteなどで販売している記事はわたしが病気になったとしてもある程度は売れ続けるでしょう。

夫も収入もありますし。

また、生命保険にも入っているので入院費などは補てんできます。

でも、相対的貧困にいると、ちょっとしたことですぐ絶対的貧困になってしまうことは想像できますよね。

貯金も保険もない人がある日突然病気で仕事ができなくなったら?

立ちどころに家賃が払えなくなり、医療費の支払いにも困ります。

もちろん、そのために生活保護などの制度があるわけですけどね。

やっぱり普通の生活はできない

相対的貧困であっても、はたから見て「貧困」とは分からないことの方が多いはずです。

わたし自身も、相対的貧困の状態だったことがあります。

たとえば中学生のときなんかは絶対的貧困に陥るすれすれの状態だったのですが、それでも、貧乏な感じには見えなかったはずです。

衣服は安物だけど新しいものを親が買ってくれていましたし、お風呂にも入れていました。

塾には行けなかったけど、わたしはその分必死で勉強しました。塾に行っていても成績が悪い人は山ほどいるわけですから、塾に行っていない=貧困、というわけでもありません。

また、お小遣いはとても少なかったけれど、「わたし古着のほうが好きだから!」みたいな雰囲気を出すことで、友達に見栄を張り、貧乏だとバレないようにも努めていました

塾に行けない、私立の高校に行けない、大学なんて行けるわけがない。

それはこの国では十分「相対的貧困」なのだけど、周りからは見えにくい貧困です。

相対的貧困は解決すべきか?

相対的貧困というのは、とりあえず最低限の生活はできるよってレベルです。

相対的貧困を経験しているわたしとしては、「それよりも絶対的貧困を解決するのが先決だ」と考えています。

ここは、みんな同じ考えだと思う。

大学に行けないよ~っていう人より、「今日食べるものもないよ~」って人を真っ先に救うべき。

日本には生活保護や生活福祉資金などの制度があり、一応「絶対的貧困」を救えることになっています。

まともに機能しているとは思えませんが。どうにかしてほしいよね。

あと、子供を大学に行かせるために、生活保護を受けながら貯金しても、その貯金が取り上げられたりするからね。

余談なんですけど、たとえ学費免除や奨学金などの制度を活用しても、地方の大学に行くなら引越し費用などのお金はかかります。その分ぐらいの貯金すら認めてもらえなかったんですよ。

もちろん、生活保護を受けているような世帯だと貸付制度も利用できるんだけど、「貸付に頼らずに自力で」ってがんばった母親の苦労を返せと言いたい。

貧乏人は大学に行くなってか? 腹立ってきたのでこの話はやめましょう。

貧困だから我慢しないといけない?

引き続き大学進学を例にしますが、貧困家庭でも、本人が優秀なら大学には行けます。

わたしは国立大学に進学し、学費を免除してもらい、1人暮らしになったので奨学金を生活費に充てながら、バイトもしながら生活していました。

もちろん、国立の大学に行くために必死で勉強して。塾にも行けないし、高校のときには進研ゼミとかZ会とかの通信教育も利用していなかったから、たまに買う2千円ぐらいの参考書や問題集を使って。

バイトしながら、(自分の青春のために)部活もしながら、勉強を続けて、大学に入る。

でも、ここまでしないといけないの?

相対的貧困にもフォローを

標準的な家庭の子供なら、勉強ができなくても、本人が望めば大学に行ける。貧困家庭の子は優秀じゃないと大学に行けない。この時点で不公平ではありませんか。

わたしは長らく「勉強できないのに大学に行くのは無駄だから、大学に行く頭が無いならさっさと就職すべき」とか思っていたのだけど、そうじゃない。

まだまだ学歴社会が残っている中で、親の経済力のせいで大学に行けないなら、貧困を連鎖させる可能性が高まるんですよね。

本人が望むなら、親の経済力に関わらず進学できるようにしてほしいと思います。

フォローすべきは子供だけじゃない

子供の貧困は深刻な問題だと思っています。だって、本人には関係の無い話だから。

でも、大人の貧困も、フォローすべきです。

たしかに、いい年した大人なら、「まともに働けよ」とか「もっと節約しろよ」って言いたくなります。

ただ、中には何らかの発達障害を抱えていたりして、まともに働けない人もいるはずですよね。

わたしが知る限りでも、本人が上手く説明できないせいで生活保護が受けられていない、みたいなケースはあります。

節約うんぬんに関しても、先を見通す力が無いために目先のものにお金を使ってしまうとか、何らかの精神疾患が疑われる人が、自炊する気力がなくて外食ばかりしてしまうとか、そういう話はあります。

相対的貧困に当てはまる人は自覚しよう

貧困に関する話になると、「わたしだって低所得でがんばってるのに、甘えたこと言うな!」みたいな批判が必ず起こります。

でも、それって違う。「弱い者たちがさらに弱い者を叩く」になってる。

そうじゃなくて、自分自身も生活に困っているなら生活保護の申請をしたほうがいい
生活保護は、仕事をしていても受けられるから。勘違いしてる人が多いけど。

たとえば生活保護の基準で月額20万円受給できる人が、アルバイト収入12万円しかないなら、差額の8万円を受給できる、みたいなイメージ。

一時的に貧困に陥っているなら、生活福祉資金という貸付制度を利用することもできます。健康で働ける力のある人なら、生活保護じゃなくてこっちを使って生活を立て直すという手もある。

こうした制度を利用することに対して、恥ずかしいとか思う必要もないです。

わたし自身もそうだったのですが、相対的貧困の状態にあっても、それを自覚していない可能性ってあるんですよね。

わたしが数年前、シングルマザーだったときはあきらかに相対的貧困でしたが、自覚するまでに時間がかかりました。

わたしは健康体で節約好きだったので、「生活が苦しい」とも思っていなかったのですね。でも、子供が小学校に入るとき、「就学援助」の受給条件に当てはまると知ったとき、「やっぱり今の状態って貧困なんだな」と自覚せざるを得ませんでした。

その後、クラウドソーシングに出会って収入が倍増したのは、このブログを読んでくださっている方ならご存じのことと思います。

わたしと、いつまでも貧困状態にある人との差は、わずかしかありません。

わたしはたまたま学校教育にフィットする性質を持っていたことで学力を手にしました。
たまたま親がギリギリのところで体を壊さずにいれくれた。

こういう偶然が重なっただけであって、わたしも、ずっと絶対的貧困と隣り合わせだったのです。

そして、今でも、不運が重なれば相対的貧困になる可能性もあるし、さらに絶対的貧困になる可能性だったある。

だからこそ、貧困問題は「自分ごと」としてとらえていたいし、わたしのわずかな力であっても何か貢献できることがあるなら、その力を使いたいと思っています。